1.古代ハワイの文化の特徴
1-1.文字を持たない文化
文字を持たないって?
紀元500~700年頃、初めてハワイ諸島にやってきたのはポリネシア人でした。マルケサス諸島からカヌーに乗って海を渡って来て生活を始め、その後1100年頃に大量に移住してきたタヒチ人によって、後のハワイアン文化が創られていきます。
ポリネシア人は太平洋をカヌーで移動できる高度な航海術(スターナビゲーション)や、石造りの神殿(ヘイアウ)や灌漑施設などを作るなど様々な技術を持っていましたが、1820年にキリスト教の布教活動が始まるまでは文字を持たない民族だったため、言葉で文化を書き残したものはありませんでした。
どうやって記録を後世に伝えたの?
文字を持たなかった彼らは、神々の神話や歴史、文化や家系図を物語のように作曲して、メレやオリ(詠唱 meleoli)や、メレを踊りで表現するフラ(舞踏 hula)として、代々口承で語り継いで残してきました。メレは、リズムとメロディーと共に伝えられてきた詠唱で、リズムやメロディーを伴わない詠唱はオリ(チャント chant)と呼ばれ、メレの歌詞の意味を手足を使って表現するのがフラです。自然を神とするハワイの人たちにとってメレは神々に捧げ、交信するために重要な意味を持っていたのです。また文字の代わりを担っていたため、文芸としても擁護されカフナ(kahuna)(※2)によって頻繁に作曲されていたようです。
1-2.自然崇拝の神と信仰
自然崇拝ってどんな信仰?
ハワイの人たちは森羅万象すべてのものに神が宿ると信じていました。木々や植物、地上に存在する動物や魚、石、人間など全てです。生活に必要なもの、助けてくれるものなどの、自然の力をアクア(神akua)として崇め信仰していました。彼らは、自然から何かを受け取る時には許しを得て、感謝の祈りや捧げ物をし、木を切った時は苗木を植えるなど必ず何かを戻し、人間も自然の一部として命が循環するような生活をしていたようです。
どんな神様がいたの?
ハワイでは四大神として「天上の父カーネ(Kane)」「農耕と豊穣、平和の神ロノ(Lono)」「戦いと建設、建物の神クー(Ku)」「海の神カナロア(Kanaloa)」と呼ばれる男性神が崇められています。この男性神の関係するものは「光、空気、稲妻、海、水、風、音など」で、自然の中でも天に帰るもの(水や海水など、蒸発して空に戻る)を男性神が司っていたようです
自然への感謝から信仰が生まれ、生活に深く関わるところに神の存在を見出していたのです。
ハワイの人たちは先祖や家ごとにアウマクア(神様 aumakua)が存在し、その家系を守ってくれる守護神とされていたので、ハワイの人たちは先祖や家族を大切にするのと同様に、アウマクアも大切に崇めていました。
祈りの場所ヘイアウと儀式
ハワイの人たちは、神々や精霊に祈りを捧げる場所として、ヘイアウ(神殿・寺院 heiau)を数多く作りました。ヘイアウは建築の分野を得意とするカフナ・クヒクヒプオネ(Kahuna kuhikuhipu'uone)が設計した石造りの遺跡で、主に女人禁制で、アリイ(王族 ali'i)と男性のカフナ(kahuna)が儀式を行っていました。
ヘイアウの種類は大きく4つに分類され、そこに祀られている神によって様々な様式で造られ、儀式もいろいろあったそうです。
①治療院の役割のヘイアウ…薬草治療を専門とするカフナ・ラパアウ(Kahuna Lapa`au)が病人の治療に当たり、弟子達が修行に行くなど、現在の医学校のような存在で、周りでは治療に使う薬草を栽培していました。
②自然の神々への祈りのヘイアウ…豊穣や雨乞い、雨に晴れなど干ばつや飢饉などの時に儀式が行われる場所でした。
③避難場所としてのヘイアウ…プウホヌア(pu uhonua)と呼ばれ、カプ(禁制 kapu)(※3)を破った罪人がここに逃げ込めば、罪が許され魂の汚れが浄化されるといわれていました。また絶対の安全が保証されていたので、戦争の時には老人や子供が逃げ込む場所でもありました。
④戦いの勝利を祈るヘイアウ…ルアキニ・ヘイアウ(Luakini heiau)と呼ばれ、クー(戦いの神 Ku)を祀り、人間を生け贄として神に捧げる儀式が行われる場所でした。他のヘイアウと区別され、特別な造り方や多くのカプがあったそうです。
また人々の信仰は、ヘイアウでの儀式のように大がかりなものばかりでなく、ポーハク・オ・カーネ(pohaku ‘o kane)と呼ばれる個人の家に代々伝わる石をティーリーフの葉で囲った祭壇に祀って、先祖に祈りを捧げたりもしていました。
1-3.厳しい階級制度と規則
階級制度って?
12世紀頃、タヒチの高僧パーアオ(Pa'ao)(※4)が大酋長と共に土地を治めるため、ハワイにカプ(禁制 kapu)を持ち込みました。その時に作られたのがピラミッド式の社会構成です。航海士だった彼は、これ以上の交易ができないようにタヒチなど他の島との長距離用カヌーを壊し、航海の叡智を引き継ぐ人々を殺してしまったため、かつてはあった太平洋間の交流がいつの間にかなくなり、漁業も近郊の海だけになってしまったそうです。そのため、鎖国状態になったハワイは、独特の文化を築いていったのでした。
各階級はどんな人たち?
この階級制度はアリイ(王族ali'I)を頂上に、下記のように分類されました。
①アリイ(王族 ali'i)
神々の血を引く統治者で、最高位のアリイはアリイ・カプ(ali’I kapu)で、生き神様と呼ばれていました。
②カフナ(神官、魔術者、医者、職人など kahuna)
宗教的な儀式を行いながら、アリイの参謀として政治にも参加していました。職人としては人々に技術や知識を与えていました。
③マカアーイナナ(平民 makaainana)
基本的に制約がなく自由で、農耕や漁業などを行い日々の生活をしていました。
④カウヴァー(奴隷 kauwa)
戦争で奴隷になったものやその子孫、カプを破った罪人。クー(戦いの神 Ku)への儀式の生け贄はこのカウヴァーから出されていました。
どのような規則があったの?
社会秩序を維持と、カフナと王族が民を従わせるために作ったカプ(禁則 kapu)(※5)がありました。
①階級に関するカプ
・平民はアリイ(王族 ali'I)の影を踏むだけでも死罪、持ち物に触れることを禁止。
②女性に関するカプ
・キノラウ(男性神を表す食べ物 kinolau)を食べたり触れたりすることを禁止。
・ハワイの人たちの主食であるポイ(poi)の原料のタロイモ畑に立ち入ることを禁止。
・男女が一緒に食事をすることを禁止。
・ヘイアウ(神殿・寺院 heiau)に立ち入ることを禁止。
③自然保護に関するカプ
・魚の産卵時期や幼魚の漁を禁止し、マカヒキ祭(雨期 makahiki)は土を休ませるため、農作業を禁止。
信仰の神々に男性神が多いことも理由の一つですが、女性は出産や生理中にマナ(mana)※6が強くなり、それを男性がおそれたためとも言われています。
カプを犯したものは通常、死罪でしたが、カプを犯す人たちはあまりいなかったそうです。それは罪が厳しいからではなく、カプは自分たちの信仰する神が定めたものだと思っていたからだそうです。
他にも多々ありますが、その中でも女性に対するカプはとても多かったようです。
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